『犬ヶ島』は、ウェス・アンダーソン監督によるストップモーション・アニメーション映画です。
舞台は近未来の日本・メガ崎市。犬インフルエンザの流行を恐れた市長コバヤシは、すべての犬を「ゴミ島」へ追放します。そこは廃棄物にまみれた絶望的な島。そんな中、市長の養子である少年アタリが、自分の愛犬スポッツを探すために小型飛行機で島に乗り込みます。彼を助けるのは、チーフ(人間嫌いの野良犬)をはじめとする5匹の犬たち。少年と犬たちの冒険が始まり、やがて市長の陰謀や「犬と人間の共生」という大きなテーマに迫っていきます。
感想
対称的な構図、ユーモア、奇妙で愛おしいキャラクターたち、そして一枚の絵のように緻密に作り込まれた世界観。舞台が近未来の日本であり、そこに美学が散りばめられているのが新鮮でした。特に、和太鼓のリズムが鳴り響くオープニングや、浮世絵風の木版画で語られる犬と猫の因縁の神話的プロローグは、映画のトーンを一気に決定づけていました。
物語は、メガ崎市の独裁的な市長・小林が「犬インフルエンザ」を口実にすべての犬を“ゴミ島”へ追放するところから始まります。最初に島へ送られるのが、市長の甥である少年アタリの愛犬スポッツだという皮肉。アタリが小型飛行機を盗んで島に不時着するシーンは、無謀さと必死さが入り混じっていて胸を打ちました。墜落した機体から血を流しながら這い出てくる小さな少年に、島の野良犬たちが近づく場面は、緊張感と同時にどこかユーモラスでもあり、アンダーソンらしい「笑いと痛みの共存」を感じました。
犬たちの群像劇も忘れがたいものです。レックス、ボス、デューク、キング、そして唯一「人間に飼われたことがない」チーフ。彼らが投票で行動を決めるくだりは滑稽でありながら、民主主義の風刺のようでもありました。中でもチーフが「俺は噛む犬だ」と過去を語るシーンは強烈でした。かつて里親に引き取られたものの、幼い子どもを噛んでしまい、暗い小屋に閉じ込められた記憶を淡々と語る彼の声には、どうしようもない孤独と自己嫌悪が滲んでいて印象的だった。彼がアタリと心を通わせ、やがて「守るべき存在」を見出していく過程は、この映画の最も人間的で感動的な部分だったと思います。
一方で、メガ崎市の描写も印象的でした。科学者渡辺が「治療薬は完成間近だ」と訴えるのに、市民がプロパガンダに煽られて石を投げる場面は、現実の社会を思わせる不気味さがありました。学生運動を率いる交換留学生トレーシーが、真実を暴こうと声を上げる姿は、やや唐突ではあるものの、若者の純粋な正義感を象徴していて心強くもありました。
映像面では、やはりストップモーションの細部へのこだわりに圧倒されました。犬の毛並みが風に揺れる様子や、寿司職人が毒入りの刺身を丹念に握るシーンなど、数秒のカットに込められた職人技は、ただ「美しい」という言葉では足りません。ゴミ島の灰色の風景と、メガ崎市の鮮やかな色彩の対比も見事で、視覚的に物語のテーマを補強していました。
ただし、全体を通して感じたのは犬たちの物語は生き生きしているのに、人間側のキャラクターはやや深みに欠けるということです。アタリを除けば、市長も科学者も学生も、ただの物語の中でも浅い存在にとどまってしまい、犬たちの豊かな個性に比べると物足りなさが残りました。それでも、犬と人間の絆を描くラストで、アタリが「彼らは私が出会った中で最も素晴らしい存在だ」と語る場面には、素直に胸を打たれました。
『犬ヶ島』は、単なる「犬好きのための映画」ではなく、プロパガンダや恐怖政治への風刺であり、同時に「孤独な存在が他者との関わりの中で居場所を見つける物語」でもあります。
物語の起承転結
起
近未来の日本・メガ崎市。市長・小林一族は代々「犬嫌い」で知られ、現市長も「犬インフルエンザ」「犬熱」などの流行を口実に、すべての犬を「ゴミ島」へ追放する政策を打ち出す。最初に島へ送られるのは、皮肉にも市長の甥である少年アタリの愛犬・スポッツ。アタリは孤児であり、唯一の家族ともいえるスポッツを奪われたことで、密かに彼を救い出す決意を固める。
承
アタリは小型飛行機を盗み、危険を冒してゴミ島に不時着する。そこで出会うのが、レックス、ボス、デューク、キング、そして唯一「人間に飼われたことがない」チーフを含む5匹の犬たち。彼らは投票でアタリを助けるかどうかを決め、多数決で同行を決定する。 旅の途中、犬たちは腐敗した残飯を奪い合い、スクラップの山を越え、時には他の犬の群れと争いながら進む。チーフは「俺は噛む犬だ」と過去を語り、人間に心を開こうとしないが、アタリとの交流を通じて少しずつ変化していく。
転
一方、メガ崎市では科学者・渡辺が「犬インフルエンザの治療薬は完成している」と訴えるが、市長に握りつぶされ暗殺されてしまう。真実を知った交換留学生トレーシーは学生運動を起こし、市民に訴えかける。 ゴミ島では、ついにスポッツが見つかる。しかし彼はすでに別の犬・ナツメグと番いとなり、アタリに「自分の代わりにチーフを守犬に」と託す。ここでチーフは初めて「自分が誰かのために生きる」ことを受け入れる。 市長は犬たちを一掃する「最終計画」を進めるが、アタリと犬たち、そして市民の反乱によって阻止される。
結
市長は自らの過ちを認め、アタリに市長の座を譲る。犬たちは市民に迎え入れられ、ゴミ島から解放される。チーフは正式にアタリの守犬となり、孤独だった彼が「居場所」を得る瞬間が描かれる。 映画は、犬と人間の絆が再び結ばれた世界を示しつつも、プロパガンダや恐怖政治の危うさを風刺的に残して幕を閉じる。
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