『キャビン』を観て感じたのは、これはただのホラー映画ではなく、ホラーというジャンルそのものを題材にした物語だということだった。最初はよくある展開で、大学生の友人たちが森の小屋に出かけ、そこで恐ろしい出来事に巻き込まれる。ゾンビが現れ、仲間が一人ずつ襲われていく。ここまでは「またこのパターンか」と思わせるが、実はすべてが裏で仕組まれていると分かった瞬間、物語の見え方が一気に変わった。
感想
私はこの仕掛けに驚きつつも、同時に惹かれてしまった。なぜなら、ホラー映画でよくある「愚かな行動」や「お決まりの死に方」が、実は外部から操作されていたという説明がつくからだ。キャラクターたちは自分の意思で動いているようで、実際には役割を押しつけられている。その姿は、ただのパロディ以上に、人間が社会や文化の枠組みに縛られていることを映しているように思えた。
物語が進むにつれて、舞台裏の施設や職員たちの存在が明らかになり、ホラー映画を観る私たち自身が「儀式に加担している観客」であるかのように感じさせられる。血や恐怖を求める観客の欲望が、登場人物たちを犠牲にして満たされている。その構造を突きつけられたとき、私はただ楽しむだけでは済まされない複雑な気持ちになった。
終盤、無数の怪物が解き放たれる場面は圧巻だった。狼男や幽霊、巨大な蛇やピエロなど、ホラー史を総ざらいするような怪物たちが暴れ回る恐怖は、私は圧倒されながらもホラーの醍醐味といった感じで楽しめた。そして最後に訪れるのは、人類そのものの終わり。主人公たちは「世界を救うために自分を犠牲にするか」という選択を拒み、神々の手が地上を破壊する。普通のホラーなら生き残りが希望をつなぐが、この映画はあえてその逆を選ぶ。その大胆さに私は感心した。
この映画を「面白い」と感じる人もいれば「つまらない」と切り捨てる人もいるのは当然だと思う。怖さを求める人には物足りないし、理屈っぽさを嫌う人には退屈かもしれない。
『キャビン』は、ホラーを愛する人にも、ホラーに飽きた人にも、一度は体験してほしい映画だと思う。血と笑いと風刺が入り混じったこの作品は、ジャンルを楽しむだけでなく、その裏側を考えさせてくれる。
物語の起承転結
起
大学生5人が週末を過ごすために森の小屋へ向かう。道中で不気味な老人に警告されるが、彼らは気にせず小屋に到着する。地下室で古い日記を見つけ、無意識に儀式を始めてしまう。
承
日記の力で「レッドネック・ゾンビ一家」が呼び出され、次々と若者たちを襲い始める。だが同時に、地下の施設で技術者たちが彼らの行動を監視し、操作していることが明かされる。薬物や仕掛けによってキャラクターたちは「定型的なホラー役割」に押し込められていく。観客は、これは単なるホラーではなく「儀式」であることを知る。
転
生き残ったマーティとデイナは、施設の存在に気づき、地下へと逃げ込む。そこには無数の怪物が収容されており、彼らが解放されると施設は大混乱に陥る。狼男、幽霊、巨大ヘビ、ピエロなど、あらゆる怪物が暴れ出し、職員たちは次々と惨殺される。二人は「この儀式は古代の神々を鎮めるための生贄」であることを知る。
結
最終的に、二人は「人類を救うために自分たちを犠牲にするか」「神々に世界を滅ぼさせるか」の選択を迫られる。だが彼らは「こんな世界を守る価値があるのか」と考え、あえて抵抗をやめる。ラスト、地面から巨大な神の手が現れ、世界を破壊する。物語はそこで幕を閉じる。
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