『グッド・タイム』は、兄弟の愛情と破滅を描いた一夜の犯罪劇です。
物語は、兄コニー(ロバート・パティンソン)が知的障害を持つ弟ニックを銀行強盗に巻き込み、失敗して弟が逮捕されるところから始まります。そこからコニーは「弟を救う」という一心でニューヨークの夜を駆け抜けますが、その行動は次々と裏目に出て、嘘と暴力にまみれた悪夢のような連鎖に陥っていきます。
感想
『グッド・タイム』を観てまず圧倒されたのは、その息苦しいまでのスピード感と、ロバート・パティンソンの鬼気迫る演技だった。冒頭、兄コニーが知的障害を抱える弟ニックを無理やり銀行強盗に引き込む場面から、すでに胸がざわつく。逃走の最中に札束から赤い染料が噴き出し、二人の顔や服が一瞬で真っ赤に染まるシーンは、ただの失敗ではなく「破滅の始まり」を告げる血のように見えた。そこから弟が逮捕され、コニーが必死に救い出そうとする一夜の奔走が始まるのだが、その道程は救済というよりも、嘘と暴力と偶然にまみれた悪夢の連鎖に近い。ただこの連鎖がスリルを生む。
特に印象に残ったのは、遊園地の廃墟のようなアトラクション施設での追走劇だ。ネオンに照らされた迷路のような空間で、コニーが必死に逃げ惑う姿は、まるで彼自身の人生そのものを象徴しているようだった。出口を探して走り続けても、結局は袋小路に突き当たり、また別の混乱に飛び込んでいく。観ているこちらも息が詰まるほどだった。
パティンソンの演技は、これまでの「美形俳優」というイメージを完全に消し去る。 絶え間なく繰り出される嘘、そして一瞬の優しさと直後の冷酷さ。その落差に翻弄されながらも、なぜか彼を見捨てきれない。弟を思う気持ちは確かに本物なのに、その愛情が常に間違った方向にねじ曲がり、結果的に弟をさらに傷つけてしまう。病院から弟を連れ出そうとする場面で、実は別人を車椅子に乗せていたと分かる瞬間には、思わず頭を抱えた。彼の「救い」はいつも空回りし、観客は呆れながらも目を離せない。
映像と音楽もまた、この映画を特別な体験にしている。街の夜を覆う蛍光灯やネオンの光は、現実のニューヨークを超えて、悪夢の舞台装置のように感じられる。そこに重なるのは、耳をつんざくようなシンセサイザーの電子音。ときに不快で、ときに陶酔的で、観客の神経を直接刺激してくる。
ただ、この映画は決して「爽快な犯罪映画」ではない。むしろ観終わった後に残るのは、虚脱感とやりきれなさだ。コニーの行動は一見「兄弟愛」に見えるが、実際には自己中心的で破滅的だ。彼が「弟のため」と言いながら他人を利用し、嘘を重ねる姿は、愛情と自己欺瞞の境界線を突きつけてくる。ラストで弟ニックが療育施設で静かに歩く姿を見せられたとき、私はようやく「救われた」のはコニーではなくニックの方だったのだと気づいた。兄の狂騒から切り離されたその穏やかな時間が、映画全体の中で唯一の安堵を与えてくれた。
『グッド・タイム』は、気持ち的に良いものではない。むしろ不快で、苛立ち、疲弊させられる時間だ。しかしその不快さこそが、この映画の真価だと思う。
物語の起承転結
起
ニューヨークの片隅で生きる兄弟、コニー(ロバート・パティンソン)と知的障害を抱える弟ニック(ベニー・サフディ)。兄は「二人で新しい人生を始めよう」と夢を語り、弟を銀行強盗に巻き込む。計画は一見成功したかに見えたが、札束に仕込まれた染料が爆発し、二人は赤く染まりながら逃走。混乱の中でニックは逮捕され、兄だけが逃げ延びる。
承
弟を救うため、コニーは奔走する。保釈金を工面しようと恋人(ジェニファー・ジェイソン・リー)に頼るが失敗。病院に収容された弟を連れ出そうとするが、実は別人を連れ出してしまうという大きな誤算に直面する。彼の「弟を助ける」という目的は、次第に嘘と暴力と偶然にまみれた泥沼の夜へと変わっていく。
転
誤って救い出したのは、別の犯罪者レイ。二人は遊園地の廃墟のようなアトラクション施設に潜み、金を探そうとするが、そこでも警察に追われ、混乱と暴力が加速する。ネオンに照らされた迷路のような空間での追走劇は、コニーの人生そのものを象徴するかのように出口のない悪夢となる。彼は次々と他人を利用し、嘘を重ね、必死に逃げ続けるが、状況は悪化するばかり。
結
最後にはコニー自身が逮捕され、弟ニックは再び施設に戻される。だがラストシーンで描かれるのは、療育施設で穏やかに歩行訓練を受けるニックの姿。兄の狂騒から切り離されたその時間は、観客にとって唯一の安堵であり、同時に「本当に救われたのは誰だったのか」という問いを突きつける。コニーの「愛」は自己中心的で破滅的だったが、皮肉にも彼が排除されたことで弟は初めて安定した居場所を得るのだ。
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