映画『わたしを離さないで』感想とあらすじ

『わたしを離さないで』は、カズオ・イシグロの小説を映画化した作品で、表向きはイギリスの寄宿学校で育つ子どもたちの青春物語のように始まります。けれど実際には、彼らは「臓器提供」のために生み出された存在であり、大人になると次々に手術を受け、やがて「完了(死)」を迎える運命にあります。要するに「クローンを題材にしたSF」でありながら、「愛・友情・死生観」を描いた静かな人間ドラマ作品です。

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感想

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』は、小説を読んだときから強烈なテーマに惹かれながらも、その淡々とした文体に退屈さを覚えた作品だった。だが映画版を観て、その物語が映像と音楽、俳優たちの表情を通して立ち上がったとき、初めてこの物語が自分の中で深く息づいた気がした。まさに本よりもメッセージ性をわかりやすく伝わりやすい作品になっていた気がした。

冒頭から、ケアリー・マリガン演じるキャシーの静かな語りが観客を包み込む。彼女の大きな瞳に宿る憂いは、言葉以上に「自分の人生が限られている」という事実を物語っていた。特に印象に残ったのは、トミーとキャシーが猶予を求めてマダムのもとを訪れる場面だ。二人の必死の訴えが、冷徹な「そんなものは存在しない」という言葉で打ち砕かれる瞬間、マリガンとアンドリュー・ガーフィールドの顔に浮かぶ絶望は、台詞以上に観る者の胸を締め付ける。ガーフィールドが車を降りて夜の道路で絶叫するシーンは、まるで子供の頃の無力な叫びがそのまま大人になっても続いているかのようで、胸が痛んだ。

また、キーラ・ナイトレイ演じるルースの存在も忘れがたい。彼女は一見、友人を奪う狡猾な人物に見えるが、実際には「孤独への恐怖」に突き動かされていただけだった。病院のベッドで、かつての裏切りを悔いながら「二人で猶予を申請して」と告げる姿には、彼女なりの必死の贖罪がにじんでいた。だがその後、手術台の上で静かに「完了」していく彼女の最期は、あまりに孤独で、観ているこちらまで取り残されたような気持ちになった。

映像の美しさも、この映画を忘れがたいものにしている。イギリスの曇天の下、湿った草原や古びた寄宿舎の木造の壁、そして「セール」で子供たちががらくたを宝物のように選ぶ場面。どれもが淡い色彩で撮られ、まるで記憶の中の風景のように滲んでいる。特にキャシーがカセットテープを抱きしめて踊るシーンは、彼女の小さな幸福と、その背後にある運命の残酷さを同時に映し出していて、胸が締め付けられた。

音楽もまた、物語の哀しみを増幅させる。レイチェル・ポートマンの弦楽は、過剰に感情を煽るのではなく、静かに観客の心に沈殿していく。エンドロールが流れた後も旋律が耳に残り、劇場を出てもなお物語の余韻から逃れられなかった。

この映画を観終えたとき、私は「なぜ彼らは逃げなかったのか」と何度も自問した。誰もがいつか終える運命にある。だからこそ、キャシーの最後の独白――「私たちの人生は、誰かのものと比べて特別短いわけじゃない。みんな結局は同じ場所に行くのだから」――が、ただのクローンの物語ではなく、普遍的な人間の真実として響いてきた。

『わたしを離さないで』は、派手なSFでもなければ、観客を安易に泣かせるメロドラマでもない。むしろ静かで、淡々としていて、だからこそ観る者に深い思索を迫る。愛と嫉妬、贖罪と諦念、そして「限られた時間をどう生きるか」という問い。観終えた後もずっと心に残り続ける、稀有な映画体験だった。

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物語の起承転結

1970〜80年代のイギリス。田園地帯にある寄宿学校「ヘールシャム」で育つ子どもたち。キャシー、トミー、ルースの三人もそこで友情を育む。学校は一見すると普通だが、教師の一人ルーシーが「君たちは臓器提供のために生まれた存在だ」と漏らしたことで、彼らの運命の輪郭がうっすらと示される。子どもたちはその意味を深く理解しきれないまま成長していく。

18歳になると、彼らは「コテージ」と呼ばれる施設に移り、外の世界を少しずつ知る。キャシーはトミーに惹かれているが、トミーはルースと恋人関係になる。三人の間には微妙な緊張が生まれる。やがて「真実の愛を証明できれば臓器提供を猶予される」という噂を耳にし、彼らはその希望にすがるようになる。

大人になった三人は、それぞれ「介護人」や「提供者」としての役割を担い始める。ルースは提供を重ねる中で弱り、死を前にしてキャシーとトミーに「二人は本当は愛し合っていたのだから、猶予を申請してほしい」と懇願する。ルースは孤独の中で「完了」し、キャシーとトミーはついに互いの愛を確かめ合う。二人は希望を胸にマダムと校長を訪ねるが、「猶予など存在しない」と冷たく告げられる。彼らの運命は最初から決まっていたのだ。

絶望の中、トミーは車を降りて夜の道路で子供のように絶叫する。キャシーは彼を抱きしめるが、やがてトミーも「完了」してしまう。最後に残されたキャシーは、自分の「提供」の日が近いことを静かに受け入れる。彼女は「結局、誰もが人生の終わりに向かっている。私たちの時間が特別短いわけではない」と語り、限られた時間をどう生きるかという普遍的な問いを観客に残して物語は幕を閉じる。

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