『ブラック・スワン』は、バレエ団を舞台にした心理スリラー映画です。主人公のニナは『白鳥の湖』の主役に抜擢されますが、純真な「白鳥」は完璧に踊れる一方で、官能的で奔放な「黒鳥」を演じることに苦しみます。要するに完璧を求めるあまり狂気に陥っていくバレリーナの姿を描いた映画です。
感想
物語はとてもシンプルに見えるのに、観ているうちにどんどん深いところへ引きずり込まれていくような感覚がありました。主人公ニナは完璧を求めるあまり、自分を追い詰め、現実と幻覚の境界を失っていきます。その姿は恐ろしくもあり、同時に痛々しく、目をそらしたいのに最後まで見届けずにはいられませんでした。
ナタリー・ポートマンの演技は圧倒的でした。彼女が演じるニナは最初から不安定で、母親に支配され、純粋で脆い存在として描かれます。けれども舞台に立つために「黒鳥」を演じようとする過程で、彼女の中の抑圧された欲望や恐怖が一気にあふれ出していきます。その変化は美しくも恐ろしく、観客に強烈な印象を残します。私は彼女の表情や仕草ひとつひとつに釘付けになり、まるで自分も彼女と一緒に幻覚を見ているような気持ちになりました。
映画の中で印象的だったのは、鏡や影を使った演出です。鏡に映る自分が勝手に動いたり、別の誰かに見えたりする場面は、ニナの心の崩壊をそのまま映し出しているようでした。観ている私自身も「これは現実なのか、それとも彼女の妄想なのか」と混乱させられ、最後まで確信を持てませんでした。その曖昧さが逆にリアルで、観終わった後もずっと考えさせられました。
また、この映画はバレエを題材にしていますが、単なる舞台裏の物語ではありません。芸術に人生を捧げる人間が、どこまで自分を犠牲にできるのか、そしてその先に何が待っているのかを描いています。完璧を求める気持ちは誰にでも少しはあると思いますが、ニナのようにそれが極端になると、自分自身を壊してしまうのだと強く感じました。彼女の姿は決して他人事ではなく、私たちが日常で抱える「もっと良くなりたい」という思いの延長線上にあるように思えました。
脇を固める俳優たちも素晴らしく、特に母親役のバーバラ・ハーシーは圧迫感と愛情が入り混じった存在として強烈でした。リリーを演じたミラ・クニスも、自由で奔放なキャラクターとしてニナの対極に立ち、彼女を揺さぶる存在としてとても効果的でした。
『ブラック・スワン』は観る人によって評価が分かれる映画だと思います。暗くて重く、観終わった後に爽快感はありません。むしろ疲れや不安を残す作品です。でも、その不快さこそがこの映画の魅力であり、忘れられない理由だと思います。私は観終わった後、しばらく言葉が出ませんでした。けれども時間が経つほどに、あの映像や音楽、そしてニナの姿が頭から離れなくなり、もう一度観たいと思うようになりました。
この映画は、芸術を追い求めることの美しさと危うさを同時に描いた作品です。完璧を目指すことは素晴らしいけれど、そこに囚われすぎると自分を失ってしまう。『ブラック・スワン』はその真実を強烈に突きつけてきます。私はこの映画を通して、完璧であることよりも、自分らしくあることの大切さを改めて考えさせられました。
物語の起承転結
起
ニューヨークのバレエ団に所属するニナ・セイヤーズは、母親の過干渉のもとで育ち、完璧を求めるあまり自分を追い詰める若いバレリーナです。団の看板ダンサーが引退し、新しい『白鳥の湖』の主役「白鳥の女王」に抜擢されます。彼女は純真な「白鳥」には理想的ですが、官能的で奔放な「黒鳥」を演じることに監督トマ・ルロワ(ヴァンサン・カッセル)は疑念を抱きます。
承
ニナは役を完璧に演じようと必死に努力しますが、母親の束縛やライバルのリリーの存在に追い詰められていきます。リリーは自由で魅力的な踊りを見せ、黒鳥にふさわしい存在としてニナを脅かします。やがてニナは幻覚や妄想に苦しみ、現実と幻想の境界が曖昧になっていきます。鏡に映る自分が勝手に動いたり、身体が変化していくように見えたりと、心身ともに崩壊していきます。
転
『白鳥の湖』の本番当日。ニナは舞台で白鳥を演じるものの、緊張から失敗し、控室でリリーと口論になります。錯乱したニナはリリーを刺し殺したと思い込みますが、それは幻覚でした。彼女は自分の腹を実際に傷つけていたのです。血を流しながらも舞台に戻り、黒鳥としての踊りを完璧に演じ切ります。その姿は観客を圧倒し、彼女自身も「完璧だった」と確信します。
結
舞台の幕が下り、観客の喝采を浴びる中、ニナは自分の致命傷に気づきます。仲間たちが駆け寄る中、彼女は「I was perfect(私は完璧だった)」と呟き、白い光に包まれるようにして物語は幕を閉じます。
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