映画『ミッドサマー』感想とあらすじ

今日はホラー作品であるミッドサマーを観たので、その感想を共有したいと思います。

感想

『ミッドサマー』は、観る人によって大きく評価が分かれる作品だと強く感じた。一般的なホラー映画のようにジャンプスケアで驚かせるのではなく、白昼の美しい映像と残酷な儀式を対比させながら、観客をじわじわと不安に追い込んでいく。すごいと思ったのは、昼じゃないからこそ感じる不気味さを存分に感じた点。

スウェーデンの伝統を下敷きにしつつも、実際の文化というより異教的儀式のイメージを膨らませたもので、現実感と寓話性のあいだを漂う奇妙さがある。

映像美は圧倒的で、花々や緑の草原、白い衣装に包まれた村人たちの姿は絵画のように鮮烈だ。その美しさの中で繰り広げられる流血や異様な儀式は、観る者に強烈な違和感と不快感を与えるが、同時に目を離せない魅力を持っている。

物語の中心にいるのは、家族を失い、恋人との関係も崩壊寸前の若い女性ダニー。彼女の不安や孤独は、観客にとっても痛々しいほどリアルで、フローレンス・ピューの演技がその感情を鮮やかに体現している。彼女が異様な共同体の中で「居場所」を見出していく過程は、恐ろしくもあり、ある種のカタルシスを伴う。

2時間半を超える長さは人を選び、展開の遅さや繰り返しに退屈を覚える人もいるだろう。しかし、この「遅さ」こそが観客を儀式の世界に引き込み、現実感覚を麻痺させる仕掛けでもある。

総じて『ミッドサマー』は、単なるホラーではなく「美と恐怖」「孤独と帰属」「喪失と再生」といったテーマを寓話的に描いた作品だ。観る人によって「傑作」とも「退屈」とも映るが、その両極端な反応こそが、この映画の特異な力を物語っている。

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物語の起承転結

主人公ダニーは、家族を失った深い喪失感と、冷淡な恋人クリスチャンとの関係に苦しんでいる。そんな中、彼とその友人たちがスウェーデンの友人ペレに誘われ、90年に一度の夏至祭に参加することになる。

一行が村に到着すると、白い衣装の人々、花々に囲まれた美しい共同体が彼らを迎える。しかし、やがて老人が断崖から身を投げる「アッテストゥーパ」の儀式を目撃し、村の異様さが露わになっていく。外部から来た友人たちは次々と姿を消し、村の掟に取り込まれていく。

ダニーは「メイクイーン」に選ばれ、共同体の中心に据えられる。一方でクリスチャンは薬で意識を操作され、村の娘との儀式的な交合に巻き込まれる。ダニーはその光景を目撃し、絶望と怒りに打ちのめされるが、同時に村人たちの「共感」と「受容」に包まれていく。

最後の生贄を決める儀式で、ダニーはクリスチャンを選ぶ。彼は熊の皮を着せられ、生きたまま炎に包まれる。燃え盛る神殿を見つめながら、ダニーは涙を流しつつも、やがて微笑む。その笑みは、彼女が「新しい家族」を得た安堵なのか、完全に狂気へと取り込まれた証なのか、観客に解釈を委ねて幕を閉じる。

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