『シティ・オブ・ゴッド』は、リオ・デ・ジャネイロ郊外のスラムを舞台に、貧困と暴力に支配された社会の現実を描いた衝撃的な作品です。物語は写真家を夢見る少年ロケットの視点から語られ、彼の成長とともに、スラムの歴史や人々の運命が浮かび上がる。
感想
『シティ・オブ・ゴッド』はただのギャング映画ではなく、リオのスラムに生まれ落ちた子どもたちの「逃れられない運命」を真正面から突きつけてくる作品でした。
物語は写真家を夢見る少年ロケットの語りで進みます。彼の視点を通して、1960年代から80年代にかけての「シティ・オブ・ゴッド」の変貌が描かれるのですが、最初はまだどこか牧歌的で、兄が属する「テンダー・トリオ」がガス会社のトラックを襲ったりする場面には、どこか無邪気な悪戯のような軽さすらありました。けれども、幼いリル・ダイスがモーテルで無差別に人を撃ち殺すシーンを境に、空気は一変します。彼はやがてリル・ゼと名を変え、麻薬と暴力で街を支配していく。その笑顔が画面いっぱいに広がるたびに、子どもらしいあどけなさと純粋な残虐性が同居していて、背筋が凍りました。
特に忘れられないのは、リル・ゼが小さな子どもたちを呼び出し、二人を撃ち抜いたうえで「どちらを殺すか選べ」と年少の兵士に迫る場面です。銃を持つことで「大人」になったと信じていた少年が、泣きじゃくりながら命乞いをする姿は、彼らがまだ幼い子どもであることを突きつけ、観ているこちらの胸をえぐりました。
一方で、ロケットの物語はこの地獄のような世界の中で唯一の光でした。彼がカメラを手にした瞬間、銃ではなくレンズを通して世界を切り取ることを選んだ姿に、かすかな希望を感じました。友人と一緒に軽犯罪に手を染めかけても、相手が「かっこよすぎて」強盗をやめてしまうエピソードには、彼の人間らしさと臆病さが同居していて、逆に好感が持てました。
映像のスタイルも強烈でした。冒頭の鶏を追いかけるシーンから一気に引き込まれ、フリーズフレームや章立てのような編集は、スコセッシやタランティーノを思わせつつも、ブラジルの熱気と混沌を独自に刻み込んでいました。ストロボが乱舞するクラブの場面や、路地裏で子どもたちが銃を振り回す場面は、ドキュメンタリーのような生々しさと映画的なスタイリッシュさが同居していて、目を逸らしたくても逸らせませんでした。
最終的に、リル・ゼとノックアウト・ネッドの抗争は、誰も勝者のいない消耗戦に終わります。ロケットが「誰ももう、何のために戦っているのか覚えていなかった」と語る言葉は、暴力が暴力を呼び、ただ次の世代に受け継がれていく虚しさを象徴していました。そして最後に銃を手にしたのは、まだ幼い「ランツ(ガキども)」たち。未来が断ち切られることなく、また同じ地獄が繰り返されるのだと突きつけられ、胸が重くなりました。
『シティ・オブ・ゴッド』は、暴力や麻薬に支配されたスラムの現実を、観客に「見届けろ」と迫るような映画でした。けれども同時に、ロケットのカメラが切り取る一瞬の光や、友情や恋の場面があるからこそ、ただの絶望ではなく「人間の生」を感じられた。
物語の起承転結
起
1960年代、リオ郊外に新しく作られたスラム「シティ・オブ・ゴッド」に貧しい人々が移住する。少年ロケットは兄が属する「テンダー・トリオ」という小さな盗賊団を通じて犯罪の世界を垣間見る。一方、幼いリル・ダイス(後のリル・ゼ)は初めての大量殺人を犯し、暴力の道を歩み始める。
承
1970年代、リル・ゼは麻薬取引を牛耳り、恐怖でスラムを支配する存在となる。彼の親友ベニーは「クールな不良」として慕われるが、やがて抗争の中で命を落とす。ロケットは犯罪に関わることを避けつつ、写真への情熱を育てていく。
転
リル・ゼの暴虐に対抗する形で「ノックアウト・ネッド」が立ち上がり、スラムは全面戦争に突入する。子どもたちまでもが「ランツ(小さな兵士)」として銃を手にし、暴力は世代を超えて拡大していく。ロケットは戦場のような日常を写真に収め、やがて新聞社に注目される。
結
抗争の果てにリル・ゼは警察に捕らえられるが、直後に子どもギャングたちに殺される。暴力の連鎖は終わらず、次の世代へと引き継がれていく。ロケットは自らの写真が新聞に掲載されることで、スラムから抜け出すきっかけを得る。だが「シティ・オブ・ゴッド」そのものは変わらず、暴力と貧困の循環が続いていく。
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